いろはの生まれた日
これはちょっと特殊で、いろはの母子手帳に私が書いた”出産の経過”をそのまま写します。
女の子が生まれた時、将来この子が結婚したら母子手帳を渡そうと思っているので書きました。
7月25日、某所が日本で一番暑かった日の夜9時に破水。少し酔っていた旦那の運転で、10時頃病院に着く。
問診や検査で、ベッドに入ったのは12時半頃。陣痛はまだ始まっていなかったので、朝まで来なければ促進剤を使うと言われる。嫌ではあったが、感染症などを考えると仕方が無い。布団に入ったものの興奮して寝付けない。時々様子を見に来る看護婦さんに、一々笑顔で答える。それにしても、椅子の上でガーガーいびきをかく旦那には、呆れるやら羨ましいやら。なかなかの大物とみた。
夜中の3時頃、急に病院が慌しくなる。分娩が始まったらしい。妊婦さんの叫び声や看護婦さんの走り回る音で、流石の旦那も目を覚まし、二人で緊張する。私も26日中にはあんな風になるんだ。一体何時間後のことだろう。
ドキドキしながら耳を澄ますと、30分ほどで生まれた。赤ちゃんの産声を聞いた時、つい旦那と握手をした。次は私の番である。
夢うつつをさまよっている間、旦那は「車で寝る」と4時頃病室を出て行った。朝7時、とうとう促進剤の登場である。少しお腹に入れておいたほうが良いといわれ、おにぎりを食べる。8時に朝食が出てきたが、食べる気がしない。今日も暑くなりそうだ。
生理痛位の痛みが時々来る。そのたびにちびが動く。「頑張れヨ」と心の中でいいながら痛みを逃す。旦那に時間を計ってくれと言ったのに、車の雑誌を読んでいる。「オイオイ」と思いながら放っておく。看護婦さんに「時間を見るのはお父さんだよ!!」と注意される。ふふふ、当たり前だ。
時々の痛みは来るものの、そんなにひどい痛みではない。ただ、破水をしているため動けないのが辛い。トイレにも行けず導尿をされる。10時過ぎ、浣腸をされトイレに行く。段々痛みが増す。トイレの帰り、何故か友達が居た。そして分娩室へ。陣痛を計る為機械を付ける。仰向けで寝なくてはならず、辛い。とにかく腰が痛い。横を向かせてもらって少し楽になる。呼吸法を必死でやるので、喉が渇く。氷のたっぷり入った水がとても美味しい。クーラーが入っているものの分娩室は30℃。破水なのか汗なのか、もうグチャグチャである。陣痛の間、旦那にずっと腰とお尻をさすってもらう。とても嬉しい。看護婦さんたちにはあんな口調で頼めない。
段々疲れて意識が朦朧としてくる。陣痛の間は眠っていたようだ。時々旦那が外に出される。不安だ。戻ってきたらすぐマッサージをしてもらう。痛みが増し、赤ちゃんが出そうになる。いきみたいがまだ駄目だといわれ、呼吸法が悲鳴に近くなる。子宮口全開大、分娩の準備、もう必死である。何回位いきんだろう。赤ちゃんが出た。女の子!!…泣かない、大丈夫だろうか。へその緒が2回まきついていたらしい。「ンアーっっ。」あぁ、生まれたんだぁ。先生はお昼ご飯に行っていて間に合わなかった。感動よりも、ボ〜っとしてしまった。
私がいろはを産んだのは25歳の時でした。その時旦那は26歳。
若かった私たちは、自分たちだけで全てのことができると思っていました。
いろはの妊娠が分かった時、旦那はそれまで勤めていた銀行を辞め北海道で酪農研修に入りました。知っている人が誰も居ない場所。二人でこの子を育てるんだと思っていました。
今から思えば思い上がっていたのかも知れないけれど、私たちは頼るものがお互いしかいない所で初めての子供を産むことが出来、とても幸せだったと思います。
今このエッセイを書くにあたり、久し振りに母子手帳を開いて自分の文章を読んでみました。
その時とても真面目に一生懸命に子供のことを思っていた当時の自分を、懐かしくいとおしく思います。
今更ですが、いろはを出産して田舎暮らしをし、あの時の自分が理想の自分だったんです。
酪農を続けることが出来ず、旦那の実家に戻ってきました。それはそれで仕方の無いこと。出来ない理由もわかっているので、後悔はありません。
これからの人生、悔いの無いように初心に戻ろうと改めて思いました。