Sponsored Link

いと暑かった日の思い出

 高校を卒業して、勉強を全くしていなかったために当然のように浪人をし、何故か地元の札幌を離れ京都で浪人生活を送ることになりました。
 初めての一人暮らし・初めての京都、色々と環境が変わってオロオロすることがありました。自分が投げ散らかしたものは、自分が片付けなければず〜っとそのままだし、一人暮らしをした解放感・孤独感を味わっていました。
 そんな生活にもようやく慣れた頃、切実になってきたのが「京都の暑さ!!」。北海道では体験することの無いような、蒸し蒸しした不快感…、さっぱりするのはお風呂上りの一瞬だけ、どうにもバテバテの日々が待っていました。
 で、生活費は貰っていたものの、扇風機を買う余裕の無い私は実家のと〜チャンに「扇風機を買うのでお金を下さい。」と手紙を書きました。すると返事は「家に余った扇風機があるから送る。」とのコトでした。
 数日して送ってきた扇風機は、某佐○運輸を通して送られたもので、当時にしても珍しい3枚羽。内一本は折れていました(号泣)。
 十代後半の父娘関係なんて殺伐としたもので、それ以上「お金を送ってくれ」とも「新しいのをくれ」とも連絡はしませんでした。とりあえず、地獄の京都の夏を、この扇風機で過ごさねばならぬ!!その思いだけでした。
 試しに動かしてみると、一枚羽の無い扇風機は「カタカタカタカタ」ず〜っと動きっぱなし…。涼しいはずなのに、別種の汗をかいたりしてどうにも使えませんでした。
 まず試したのは、羽をセロテープでくっ付ける…。しかしねぇ、遠心力のかかった扇風機って思った以上の力があるらしく、ものの数分で羽がぶっ飛び粉々に粉砕しました。うっわ〜、もうくっつけることも出来ないじゃん!!
 仕方が無いので、カタカタ動きながらもその扇風機を使い続けることにしました(2年使ったよ♪)。
 で、梅雨も終わり真夏の京都、札幌で無事短大生になれた友人二人がフェリーに乗り遊びに来ました。
 前もって「暑いよ!!」」とは言ってたんですけど、彼女たちにしても想像以上の暑さだったようで、素麺と当時私の中で大流行していたレタスの煮たのしか食べられない三人でした。
 しかも素麺をゆでたものの、ざるが家に無い状況で、カップラーメンの底に穴を開けたけどどうにも出来ず、最終的には友達がが熱湯を手で受けるというすさまじい状況まで生み出されました。ちなみに彼女たちの置き土産は、ざるでした(爆。
 友達が帰ってしまったら、また暑さと孤独感に凹みそうだったので、予備校が開いてる時間はず〜っとおり、予備校が閉まると最終までバスを乗り継ぐ生活。くそ暑い地方の公共施設は、異常なほどにクーラーが効いています。勉強をしなければならない夏なのに、思い出すのはただ暑かった日の思い出だけです。
 
 当然のように、次の年も第一志望大学には進めませんでしたが、自分がその時出来た結果を納得して受け入れられた気がします。今だったら、もっと上手いこと立ち回れる気がするんですけど、その時はそれで精一杯だったんですよね。
 未だに夏は苦手ですけど、浪人生活を送ったあの夏ほど暑かった夏は無いような気がします。
 夏になるといつも思い出す。
 内地1年目の夏は、私の青春そのものでした。